ほのぼのアニメと勘違いして劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』を観ちゃう親子連れが続出? | ニコニコニュース
まどマギは気になりつつ未見な管理人です。だってあの伊藤和典さんもおもしろいと言ってたらしいしw
個人的には子供向けに作られていないアニメは、保険として年齢制限はかけるべきだなと思います。
関連して「まどか☆マギカ」を絡めたtoggeterの魔法少女考をいくつか見つけました。
興味深い文章だったので載せておきます。
ただ大人になる魔法が意味をなさなくなっていった考察論としては、色々な人が似たようなことを各所で言及してますよね(^^;
雑考#4:魔法少女アニメ考 サリーちゃんからまどか☆マギカまで – Togetter
ミンキーモモもサリーちゃんのように人々を助けて、夢を信じる心を取り戻させようとするけど結局は上手くいかない。で、ミンキーモモは作中で交通事故にあってあっさり死んでしまうんだけど。この時点でサリーちゃん型の魔法使いは現実に敗北したと考えられる。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
そこらへんの曖昧さというか絶望というか諦念がミンキーモモには見え隠れしてるんじゃないのかなあと。大人の事情で事故死した後も続いてしまったことも含めて。「魔法少女がいなくても、夢を信じなくても、現実は回るんだ」という。ある種の皮肉っぽさが感じられるような。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
でも、魔法使いという非日常的な存在自体は現実に敗れてしまった。そもそも女の子の理想像としての魔法使いという存在は「魔法が使えて何でもできるし、なんにでもなれる」と無限の可能性を提示した夢のような存在であったのが、「人々が夢を信じなくなった」ので存在があり得なくなってしまった。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
でも、魔法使いがいなくても、人は夢を信じられるよねと、夢に特化した魔法使いが生まれることになる。それがスタジオぴえろの魔法少女シリーズ。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
魔法=文明の利器の比喩だと考えるとミンキーモモの時点では魔法だったものが日常化してしまったというのもあるんだろうなあと。女性の社会進出も今ほどではないけど、専業主婦から徐々に出てきた時代でもあるはずでそこら辺はミンキーモモの大人に変身する魔法にも反映されてる。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
特にここでは「魔法の天使 クリーミィマミ」と「魔法のスター マジカルエミ」を取り上げるとしましょう。この二作品、どちらも主役はごく普通の女の子が主役。魔法は魔法の国からやってくる妖精が持ってくることになる所が注目するところ。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
でまあ、女の子向けアニメの魔法少女もののテーマとしてはマジカルエミの帰結がピークであると思います。「夢は自分で動いて、なおかつ努力した上で叶えられるもの」という。これは女性でも男性でも社会に生きるという点で当てはまる普遍的なメッセージのように思います。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
時代が現代に近づくにつれて、女性の社会進出というのが顕著になってくるのは明らかなのですが86年に「男女雇用機会均等法」が成立しているのを見るとエミが作中の中でそう結論付けるのは時代に呼応してるのかなあとなんとなく。ちなみに86年の2月28日にマジカルエミの放送が終了してます。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
それで結局、エミは「夢は自分でかなえるもの」と結論付けて、魔法を使うことを放棄しまうというお話の流れ。これが85年~86年のお話。この時点で「魔法少女」というものは物語論的にはナンセンスな存在と定義付けられてしまったんではないでしょうか。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
しかし、ぴえろの魔法少女ものでも「魔法」というものは敗北してしまう。それの一番顕著なのがマジカルエミの最終エピソード。「何でもかなえられる魔法を持つ自分はそれに頼りきっていて、実は夢をかなえる努力をしてないんじゃないか」という疑問がエミの中に浮かび上がってしまう。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
サリーちゃんやミンキーモモはそれ自体が夢の存在だったけど、マミやエミは普通の少女。夢の存在というものが敗北した成果、魔法という「力」というか「手段」が主人公にやってくるというのが興味深い。全体の幸せより一個人の幸せをかなえる設定になっているのもミンキーモモが敗北したせいにも見える
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 1月 26, 2011
雑考#6:続・魔法少女アニメ考 魔法少女のリアル系について – Togetter
それは魔法少女ものも同じ事です。リアルに突き詰めればいくらでもリアルに出来る。それで、話を戻しますと、そういったように「夢」や「希望」や「魔法」を真摯に捉えた結果、現実にはそんなものはあるわけない、と描かれたのがミンキーモモの交通事故死亡なんだろうと思われます。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 2月 21, 2011
そこで「魔法」という絶対的な力は現実の前に敗れ去った。では「自己実現」の為の魔法ならばどうだ?と作られたのがぴえろの魔法少女シリーズ。しかし、ここでも「夢は自分でかなえるもの」と結論付けられて、この線でも敗れ去った。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 2月 21, 2011
以上の点を考えると、リアル魔法少女アニメというのは濃密な日常描写で描かれた「マジカルエミ」が頂点となるんではないんでしょうかねえ。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 2月 21, 2011
で、そのマジカルエミが85~86年にかけての作品で、ロボットものの極北を行ったエヴァが95~96年の作品という点から見ても魔法少女ものの臨界点はロボットアニメの臨界点より10年早かったんではないかとも考えられます。
— テリー・ライスさん (@terry_rice88) 2月 21, 2011
下記は90年代以降の作品がメインに語られていますが、ミンキーモモも登場しています。
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